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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和38年(ネ)17号 判決 1966年9月30日

控訴人 東保そとい

<ほか六名>

右控訴人七名訴訟代理人弁護士 宮林彦九郎

被控訴人 金沢国税局長 市丸吉左ヱ門

右指定代理人 水野祐一

<ほか五名>

主文

原判決中控訴人東保そとい、同東保昭夫、同東保哲夫、同東保宏、同東保力、同大西晴美に対する部分を取消す。

被控訴人が昭和三六年金局直資第七―七号昭和三十三年分贈与税決定処分審査請求事件について、昭和三十六年五月二十六日になした、右各控訴人に対する審査決定を取消す。

高岡税務署長が右各控訴人に対して、昭和三十五年十月三十一日になした昭和三十三年分贈与税、および同無申告加算税賦課決定処分を取消す。

原判決中控訴人東保和雄に対する部分を次のとおり変更する。

被控訴人が昭和三六年金局直資第七―一〇号昭和三十三年分贈与税についての更正処分審査請求事件について、昭和三十六年五月二十六日になした右控訴人に対する審査決定中、右控訴人に対する更正決定処分のうち、課税価格五十万円を超える部分に対する審査請求を棄却した部分を取消す。

高岡税務署長が右控訴人に対して昭和三十五年十月三十一日になした昭和三十三年分贈与税、および同無申告加算税賦課更正決定処分中、課税価格五十万円を超える部分に対する部分を取消す。

右控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じて、控訴人東保和雄を除くその余の各控訴人について生じた分および被控訴人について生じた分は全部被控訴人の負担、控訴人東保和雄について生じた分はこれを二分し、その一を控訴人東保和雄の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人が、昭和三六年金局直資第七―七号昭和三三年分贈与税決定処分審査請求事件、および昭和三六年金局直資第七―一〇号昭和三三年分贈与税についての更正処分審査請求事件について、昭和三十六年五月二十六日になした審査決定を取消す。高岡税務署長が、控訴人東保そとい、同東保昭夫、同東保哲夫、同東保宏、同東保力、同大西晴美に対し、昭和三十五年十月三十一日になした昭和三三年分贈与税、および同無申告加算税の賦課決定処分、ならびに控訴人東保和雄に対し、同日なした贈与税、および同無申告加算税の賦課更正決定処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

各当事者の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、次に記載するほかは原判決記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴人ら訴訟代理人は、次のとおり述べた。

(一)  株式会社東保組が設立された目的は、東保喜与四は早くから個人で東保組なる商号を用いて建設業を営んでおり、昭和三十一年当時新湊市市議会議員であったところ、議員または議員が代表者である法人は、当該市注文の工事の請負人となることを許されないことになったので、新湊市注文の工事を請負う方便として、当時行われていた例にならって、自己以外の者を代表者とする法人を設立し、その法人が新湊市注文の工事を請負い、その法人が喜与四が個人で営む東保組(以下「個人企業東保組」という)に工事を代行させることによって、実質上は個人企業東保組が新湊市注文の工事を請負うことになった。したがって、喜与四としては、法人が設立されさえすれば事足り、その株主の構成や、持株の比率等には全く関心がなかったので、資本金、代表者、設立時期のみを定め、その他の事項は、当時個人企業東保組の経理を担当し、株式会社東保組設立登記申請代理人であった矢野茂一に任せたので、同人が適宜喜与四の家族や従業員の名で株式引受書を作成したのである。右のように株式会社東保組はいわゆるトンネル会社として設立されたものであったから、設立当初の発行株式千株のうち七百株が喜与四、およびその家族である控訴人ら名義で引受けられたにもかかわらず、その代表者は僅か五十株の株主である竹内登喜治とされたのであり、また、右会社は独自の営業所、従業員、工事用機械器具を持たず、さらに営業資金も必要としなかったので、第三回増資後においても資本金一千万円の殆んど全部である九百九十五万五千四百八十円が喜与四に仮払金という形式で交付されていたのである。

(二)、控訴人そといを除くその余の控訴人ら名義の株式会社東保組設立時の株式引受の申込は、喜与四が右控訴人らに無断で行ったものであり、かつその払込をしたのであるから、株式引受としての権利義務を得、かつ株主となった者は、商法第二百一条第一項によって喜与四である。したがって、その後の各増資の際に、右控訴人ら名義の株式の株主であることに基いて新株の割当てを受けたのは喜与四であるが、株式会社東保組の増資事務担当者が右控訴人ら不知の間に右控訴人ら名義の新株式申込書を作成して、事務的に処理したに過ぎないものであり、実際に株金の支払いをしたのは喜与四であって、同人は同人に割当てられた新株について払込みをしたのであるから、新株を取得したのは同人である。また株式会社東保組の設立、およびその後の各増資当時、控訴人そとい、同晴美を除くその余の控訴人らはいずれも未成年者であったが、これらの控訴人名義の各株式申込書には、当該控訴人の氏名のみが記載されていて、親権者である喜与四、控訴人そといが代理する旨の記載がないし、親権者が同意したこともないから、右控訴人ら名義の新株申込は同人らとの関係では無効であり、同人らは新株を取得できないのであり、右控訴人ら名義の新株申込は商法第二百一条第一項の類推によって喜与四との関係において有効である点からも新株を取得した者は喜与四である。控訴人晴美名義の各株式申込書には、形式上不備はないが、右の他の控訴人ら名義の株式申込書と同一の機会に同一の方法で作成されたものであり、また、右の他の控訴人らと同じく喜与四の子である控訴人晴美のみを、右の他の控訴人と別異に取扱うべき理由も無かったのであるから、控訴人晴美に対しても右の他の控訴人らと同様に真に株式を取得させる意思はなく、単に控訴人晴美の名義が使用されたに過ぎないものであることは明らかである。

(三)、控訴人そといは株式会社東保組の設立に当って、喜与四によって発起人にされ、発起人としての振舞いがあったから、右会社設立の際発行された株式のうち少くとも一株については、喜与四が控訴人そといの名義を使用して株式の引受けをすることを承諾したものといわなければならないが、控訴人そとい名義で引受けられた株式のうち何株について控訴人そとい名義を使用することを承諾するかは明確にされなかったから、控訴人そとい名義で引受けられた株式のうち何株について真に同人が株主権を取得し、何株について喜与四が株主権を取得したかは確定しないままであり、したがって、その後の増資の際に控訴人そとい名義で引受けられたものについても同様であったが、昭和三十五年三月に至って、後記のとおり控訴人そといの保有する株式数を四百株と確定した。そうすると、昭和三十三年中の増資によって控訴人そといが取得した株式数は合計三百二十株となるのであり、その額面合計は十六万円である。しかしながら、その払込金十六万円を控訴人そといが贈与を受けたとみることに異論があることは、原審で主張したとおりである。

(四)、株式会社東保組は昭和三十三年中の増資(第二、三回増資)によって、資本金が一千万円以上となったので、それまでよりも高度の税務査察を受けることになったので、右会社は諸帳簿類を整備する必要に迫まられ、昭和三十四年になって計理士中瀬信一に委嘱してこれに当らせたところ、右計理士から、控訴人ら名義の株式のうち真の株主が喜与四であるものを、名義を控訴人らのままとしておくと、贈与税課税の対象と誤認される危険があることを注意されたので、昭和三十五年三月五日、喜与四は、控訴人そとい名義のままとしておくもの四百株、そのうち第二、三回増資による新株は三百二十株、その他の控訴人らの名義のままとしておくものはそれぞれ二百株宛、そのうち第二、三回増資による新株は各百六十株宛とし、その余の控訴人ら名義の株式は喜与四に名義変更することを明確にした文書(甲第一号証)を作成し、これを株式会社東保組に提出して、株式の名義の書換えを請求した。ところが当時株式会社東保組は株券発行のためその印刷を発注してはあったが、受注先の都合で納入されていなかったため、株券が未だ発行されていなかったので、株券が印刷納入され次第喜与四の右請求どおり株主名義の書換えを行うよう準備していたところ、同年六月六日、高岡税務署員によって実地調査が行われたので、右の事情を説明した。そしてその後間もなく株券の印刷ができたので、同年八月十日、右の喜与四の請求どおり名義書換えをした株券を発行した。このように実地調査以前に喜与四から株式会社東保組に名義書換請求をしてあったのであるから、相続税法基本通達第六十三条にいう「調査着手前に自発的に前の者の名義にしたとき」に該当し、したがってその分については贈与税は課せられないものである。喜与四、控訴人らからすれば、既に名義書換手続を済ませていたもので、たまたま会社側の都合で名義書換えが遅れたのであり、このように本人の責に帰せられない事由に基いて実際に名義書換が行われたのが実地調査の時より後であったからといって、前記の通達所定の場合に当らないものと認定し、課税することは許されない。なお、前記のように控訴人ら名義のままにしておくこととした株式についても、控訴人そといを除くその余の控訴人らの分(各二百株宛)については、喜与四から右各控訴人に贈与されたものではなく、依然喜与四が真の株主なのであるが、右控訴人ら名義のままにしておく株式数を前記のとおりとすることによって、納付する必要のない贈与税をみすみす納付する愚を犯さないですむと考えたからに過ぎなかったのである。

(五)、喜与四は同人の昭和三十三年度個人所得の申告にあたって提出した貸借対照表に、株式会社東保組の株式は、控訴人ら名義のもの、および竹内登喜治ら名義のものを含めて、その発行済株式二万株全部の払込金を喜与四が払込んだものであり、したがって右会社の資本金全額を喜与四の資産である出資金として計上記載して申告をし、高岡税務署長も右申告を相当と認めて、承認したにもかかわらず、後になって、右株式の一部が控訴人らのものであるとして、贈与税を課したのであるが、これは同一の株式の帰属主体について前後矛盾した認定をするものであり、このように一旦確定した認定を後にかってに変更することは許されない。被控訴人は、貸借対照表に資産として他人の資産が計上されていても、それによって所得金額には影響がないので、喜与四が提出した確定申告書の貸借対照表の訂正の手続をとらなかったと主張するが、喜与四の昭和三十三年度の所得の確定申告は、高岡税務署長のしょうように基いて修正確定申告をしたものであり、その際修正した貸借対照表が提出されたのであるから、もし右貸借対照表に真に他人の資産が喜与四の資産として計上されていると認めたものならば、その際にその訂正の手続がとられたはずである。また、株式会社東保組は昭和三十六年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度から初めて利益配当を行ったが、同年度の株主配当金五十万円、および翌昭和三十七年度の株主配当金四十万円は、いずれも全額喜与四に支払われ、右会社からその旨の配当金支払調書が高岡税務署長に提出されており、他方喜与四もその昭和三十六、七年度の各所得申告において、右配当金全額を同人の所得として申告している。高岡税務署長が本件贈与税等賦課決定を、被控訴人が本件の審査決定をそれぞれなした当時には、喜与四が株式会社東保組の株主配当金を全額同人の所得として申告したことを認めるべき資料がなかったことは被控訴人の主張するとおりであるが、それは、株式会社東保組設立の目的が前記(一)のとおりのものであったので、右の各当時までには株主に対する配当をしたことがなかったからである。

(六)、株式会社東保組の第二、三回増資に当っては、喜与四、および控訴人らのほか、右会社の役員名義で新株引受の申込書が出されているが、右申込書の作成、提出、およびその払込みの事情は、前記(二)の控訴人ら名義のものについてのものと全く同様であった。そしてこの事実は本件贈与税等賦課決定がなされた当時、高岡税務署長に明白であったにもかかわらず、右の控訴人ら以外の者に対しては贈与税賦課決定はなされていない。このように全く同様の事実の一方が贈与であり、他方が贈与でないと区別されるいわれはなく、いずれも贈与ではない。

(七)、仮に、株式会社東保組の第二、三回の増資新株のうち控訴人ら名義で払込まれた株金を喜与四が負担したことが、喜与四から控訴人らに対する何らかの贈与となるとしても、右払込資金自体の贈与とみることは甚しいこじつけであり、控訴人らの名義となった新株式の贈与とみるべきであり、その贈与税課税の標準は実質課税の原則に従って取得された株式の実際の価値をもって課税標準とすべきであり、一律に株式の額面をもって課税標準とすべきでない。そして、前記のとおりの株式会社東保組の実体に照らすと、右会社の株式は額面どおりの価値があるということは到底できないものである。

右のように述べ、≪証拠関係省略≫

被控訴人指定代理人は次のとおり述べた。

(一)、もし控訴人ら主張のとおり喜与四が、控訴人らに同人ら名義の株式会社東保組の株式取得資金を贈与したことはなく、控訴人ら名義の株式が喜与四のものであったとすると、右会社は設立の当初から現在に至るまで一人会社であり、会社の株主総会、取締役会の各決議は一切存在しなくなる等全く収拾のつかない事態を招来することになる。しかし、喜与四は右会社を正当に設立、存続させる意図をもってその設立、および爾後の手続を行っているものであり、したがって喜与四には控訴人らに右会社の株主としての権利を取得させる意思があり、そのために自己の資金を支出したものといわざるを得ない。他方控訴人らは右の事実を知っていたものであり、これに反対する理由は見当らず、したがって、右支出がなされることを承諾していたものといわざるを得ない。商法第二百一条は株式会社の募集設立の場合において、往々株式の引受けをする者が、会社の将来の見込や、自己の資金状態、税金対策等を考慮して、仮設人や他人名義で引受けをし、会社の将来に見込が薄ければ払込をしないで、そのまま仮設人や他人に責任を負わせて逃げるようなことがあるので、名義人の如何にかかわらず、名義人の背後にある者に払込の責任を負わせようとするものである。ところで、喜与四は同人、およびその妻、親族である控訴人ら、ならびに喜与四の使用人のみの株主から成るいわゆる同族会社として株式会社東保組を設立したもので、同会社設立の際控訴人ら名義でなされた右会社に対する株式の引受、申込に基く払込資金は、喜与四が支出し、その後の増資による控訴人ら名義の引受の申込に因る払込資金も、喜与四が支出したものであり、右会社の設立の実質は発起人設立に属するものであるから、前記のような商法第二百一条の規定の趣旨に照らして考えると、右法条は本件とは何も関係がない。また、控訴人らのうち控訴人そとい、同晴美を除くその余の控訴人らは、同人ら名義の株式引受の申込がなされた当時未成年者であったが、未成年者が株式引受の申込をし、あるいは株主である場合でも、その申込書、株券上にその法定代理人の表示をすることは実際には殆んどなく、単に未成年者を表示するのみで足りるのである。したがって右控訴人ら名義の株式申込証に親権者の表示がなかったからといって、右控訴人らに株式を取得させる意思がなかったことが推認されるものではないのみでなく、右控訴人らは何ら負担の伴わない資金贈与を受けたのであるから、未成年者であっても、株式引受の申込について親権者の同意を要しなかったものである。仮に、右控訴人らの株式引受の申込に親権者の同意が必要であったとしても、親権者である喜与四が右控訴人らに株式を取得させる意思で、その資金を贈与しているのであるから、親権者である喜与四が右控訴人らの株式引受の申込に同意を与えているとみざるを得ない。

(二)、控訴人らは株式会社東保組設立の時から第三回増資の時まで、その都度喜与四から株式払込資金の贈与を受け、いずれも同一の方法で株式を取得しながら、設立時、および第一回増資の際の株式については、いずれも贈与額が免税点以下で課税されないため株式引受の申込の瑕疵、違法を主張せず、これを有効に取得し、贈与税課税の対象となった第二、三回の増資の際の株式引受の申込のみを瑕疵があり無効であると主張することは、課税を免れるための詭弁に外ならない。

(三)、本件贈与税の課税標準の調査をした昭和三十五年五月当時においては、控訴人ら名義の株式会社東保組の株式について、控訴人ら主張のような名義変更手続がなされていたということは認められなかった。控訴人らはその主張のような株主名義の変更をしたことが、贈与税法基本通達第六十三条に該当すると主張するが、同条第二項は不動産について定めたものであり、株式、預金等の名義変更の場合に適用されるものではないのである。のみならず、控訴人ら主張のとおりの株主名義の変更が行われたとしても、控訴人らは前記会社の株主となり、右会社の第二、三回増資の際の新株の割当てを受けてその払込をし、株主としての権利を行使したものであるから、その後において株主名義を変更したとしても、株式取得のための資金贈与の事実には何も関りのないことである。もし控訴人らの主張するとおり、当初から喜与四が控訴人ら名義の株式をも取得する意思であったのであれば、当初から喜与四名義で株式引受の申込をし、同人名義で取得すべきであったのである。

(四)、高岡税務署長が控訴人ら名義の株式会社東保組の株式が喜与四のものであると認定したことはなく、また、喜与四が同人の貸借対照表に、控訴人ら名義の右会社株式を自己の資産として計上しているからといって、右会社の払込資本金一千万円全額を喜与四の出資金として同人に所得税を賦課徴収したこともない。株式会社東保組から昭和三十六年分として高岡税務署長に報告された昭和三十七年二月支払確定の株式配当支払調書のうち、控訴人昭夫、同力、同哲夫、同宏名義でそれぞれ所有株二百株、配当金各五千円となっており、また、昭和三十八年三月に喜与四から右税務署長に提出された同人の昭和三十七年分所得税の確定申告には、右会社の配当金を喜与四一人のものとして申告されており、右会社からの支払調書にもそのようになって報告されているが、これらはいずれも控訴人ら名義の株式の名義を喜与四名義に変更したことに因るものと推察される。しかも、これらはいずれも本件贈与税調査決定より後のことであり、本件とは無関係のことである。

(五)、株式会社東保組の第二、三回増資の際、喜与四、および控訴人ら以外の者で、新株の名義人となった者があり、これらの者の払込資金も喜与四が支出したのであるから、これらの者に対しても喜与四から払込資金が贈与されたと認めるべきであり、したがって贈与税が課税されるべきものである。たまたま右の者に対して課税洩れがあった点をとらえて、控訴人らに対する払込資金の贈与を否定することは失当である。

右のように述べ、≪証拠関係省略≫

理由

(一)、(1)、昭和三十五年十月三十一日、高岡税務署長が、(イ)、昭和三十三年中に控訴人そといは八十万円、同晴美は四十五万六千三百十円、同昭夫、同哲夫、同宏、同力は各四十万円を贈与により取得したとして、控訴人そといに対して十一万円、同晴美に対して三万八千四百四十円、同昭夫、同哲夫、同宏、同力に対して各三万円の贈与税、およびこれらに相応する無申告加算税の賦課決定処分を、(ロ)、昭和三十三年中に控訴人和雄は九十万円を贈与により取得したとして、同人に対して十三万五千円の贈与税とこれに相応する無申告加算税の賦課更正決定処分をしたこと、(2)、控訴人らは被控訴人に対して昭和三十五年十一月二日付文書をもって、控訴人そとい、同昭夫、同哲夫、同宏、同力は前記課税価格の全額、控訴人晴美、同和雄は前記の課税価格のうちの各四十万円についてはいずれも贈与を受けたことがないとして審査の請求をしたところ、昭和三十六年五月二十六日、被控訴人が、その要旨は控訴人ら主張のとおりである(原判決の三枚目表の前から八行目より三枚目裏の前から五行目までに記載のとおり)理由をもって、控訴人らの右審査請求を棄却するとの決定をし、その通知書がその頃控訴人らに送達されたこと、(3)、控訴人そといは喜与四の妻であり、その余の控訴人らは喜与四と控訴人そといとの子であること、(4)、控訴人そといが昭和三十一年八月二十四日、株式会社東保組の創立総会で右会社の取締役に選任されたこと、(5)、控訴人らが右会社の昭和三十一年八月二十四日現在の株主名簿に株主として記載されていること、(6)、昭和三十三年中に控訴人晴美が喜与四から株式会社北陸銀行新湊支店定期積立金五万六千三百十円の贈与を受けたこと、(7)、昭和三十三年中に控訴人和雄が価格五十万円の財産を贈与によって取得したこと、(8)、株式会社東保組が昭和三十三年九月、および十月に行った第二、三回の増資の際、控訴人ら名義で払込まれた右会社の新株の払込金は総て喜与四が調達したものであること、(9)、高岡税務署長がなした前記の控訴人らに対する贈与税、無申告加算税の賦課決定は、控訴人晴美、同和雄が右(6)、(7)のとおりの贈与により財産を取得した分以外は、右(8)のとおり喜与四が控訴人ら名義の株式会社東保組の株式払込金を調達した点をとらえ、喜与四が右払込金相当額を各控訴人に贈与したものとの認定に基いてなされたものであること、(10)、控訴人らが昭和三十四年二月末日までに、高岡税務署長が認定したような昭和三十三年中における贈与による財産取得について贈与税の申告書を提出していなかったことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)、≪証拠省略≫によると、株式会社東保組が昭和三十三年九月八日を払込期日として額面五百円の株式六千株をその額面価額で発行したのに対して、控訴人そとい名義で六百株額面合計三十万円、その余の各控訴人名義で各三百株、額面合計各十五万円の株式引受の申込がなされ、右申込期日に右各申込どおりの払込みがなされたこと、右会社が同年十月二十八日を払込期日として額面五百円の株式一万株をその額面価額で発行したのに対して、控訴人そとい名義で千株、額面合計五十万円、その余の各控訴人名義で各五百株、額面合計各二十五万円の株式引受の申込がなされ、右申込期日に右各申込どおりの払込みがなされたことが認められ、右認定を妨げるべき証拠はない。右認定の各控訴人名義で払込みがなされた株式会社東保組の株式の払込金がすべて喜与四によって調達されたものであることは当事者間に争いがない。

(三)、そこで、喜与四が各控訴人に対して、右の各控訴人名義で払込みが行われた株式会社東保組の株式の払込金相当額を贈与したものであるかどうかについて考える。

(1)、≪証拠省略≫を合わせて考えると、次の事実が認められる。

東保喜与四は昭和十年七月頃から、東保組という商号を用いて建築業(個人企業東保組)を営んでいたもので、昭和二十八年から新湊市市議会議員の職にあったところ、昭和三十一年法律第百四十七号による地方自治法の一部改正によって、同法第九十二条の二の規定(普通地方公共団体の議会の議員の他事業関与禁止についての規定)が新設されたので、この規定によって新湊市市議会議員である喜与四としては、同市から建築工事等を請負うことはできなくなると考えた(右の規定が、市議会議員の職にある者が、当該市から個々の建築工事等を請負うことを総て禁止したものであるか、否かはともかくとして)ので、同市からの建築工事等の請負名義人となるための会社(いわゆるトンネル会社)を設立することになった。このような事情から、喜与四、控訴人そといのほか、いずれも喜与四の使用人で個人企業東保組の従業員である竹内登喜治ら五名の合計七名が発起人名義人となり、一株の額面五百円の株式を、喜与四名義で三百株、控訴人そとい名義で百株、その余の各発起人名義で各五十株宛引受けたほか、控訴人そといを除くその余の各控訴人名義で各五十株宛、および岩脇善右ヱ門名義で五十株の引受の申込をし、右引受けの株式合計千株、額面合計五十万円の払込金全額を喜与四が調達、払込み、昭和三十一年八月二十四日、綜合建設業、およびこれに附帯する一切の業務を目的とし、本店を喜与四、控訴人らの住所であり、かつ個人企業東保組の営業所と同じ処である新湊市三日曽根三十八番地におき、前記竹内登喜治を代表取締役とする株式会社東保組が設立された。

右のように認められ、右認定を覆すべき証拠はない。原審、および当審における証人東保喜与四の各証言のうちには、株式会社東保組の設立手続は総て矢野茂一に任かせたので、誰を右会社の株主にするかについても全く指示しなかった旨の証言があるが、右証言は到底信用できない。控訴人そといが、株式会社東保組の設立にあたって同人に発起人としての振舞いがあったことを自認していること、および原審における控訴人そとい本人の供述を合わせて考えると、控訴人そといは、株式会社東保組の設立にあたって、同人が右会社の株主名義人となることを喜与四から知らされ、これを承諾していたものと認められる。しかしながら他方、≪証拠省略≫には、昭和三十一年八月二十四日、控訴人そといを除くその余の各控訴人が、自身で株式会社東保組の株式五十株宛の引受の申込をする旨、右の控訴人らが、株式会社東保組の創立総会を同日開催することに同意する旨、同日開催された株式会社東保組の創立総会に右の控訴人らが出席した旨の各記載があるが、右の当時の右控訴人らの年令、身分、前記認定のような株式会社東保組が設立されるに至った事情、≪証拠省略≫を合わせて考えると、右乙号各証の記載の趣旨どおりの事実があったものとは認められず、かえって、右の控訴人らがそれぞれ株式会社東保組の五十株の株主名義人となったのは、喜与四の一存によるものであると推認されるのであり、他に、喜与四と当時既に成年に達していた控訴人晴美(昭和十年十月二十日生)との間に、控訴人晴美が株式会社東保組の株式を取得すること、あるいは右株式取得のための払込金相当額を控訴人晴美に贈与するということについて、明示もしくは黙示の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はなく、また、喜与四と当時未成年者であった控訴人和雄(昭和十四年十一月三十日生)、同昭夫(昭和十七年九月十一日生)、同哲夫(昭和二十年一月十九日生)、同宏(昭和二十二年七月九日生)、同力(昭和二十四年八月九日生)らとの間に右と同様の合意が成立し、あるいは右控訴人らの共同親権者である喜与四と控訴人そとい間に、右控訴人らが株式会社東保組の株式を取得すること、もしくは右株式取得に必要な払込金相当額を喜与四から贈与を受けるということについて、明示もしくは黙示の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

(2)、≪証拠省略≫によると、昭和三十二年四月五日、株式会社東保組は第一回増資として同年五月八日を払込期日として、新株三千株、額面合計百五十万円を発行することを定め、右払込期日に前記設立時の株主名義でそれぞれその保有名義の三倍の新株引受の申込がなされるとともに、その株式払込金全額を喜与四が調達、払込んだ結果、控訴人そといは新旧計四百株、その余の控訴人らは新旧計各二百株の株式会社東保組の株主名義人となったことが認められる。

(3)、≪証拠省略≫には、株式会社東保組が昭和三十二年五月八日、昭和三十三年九月八日、同年十月二十八日をそれぞれ払込期日として行った新株の発行(第一ないし第三回増資)に対し、控訴人らがそれぞれ前記認定のとおりの株数の新株引受の申込をする旨記載されているが、控訴人ら名義の右各新株式申込証が各控訴人自身によって作成されたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、≪証拠省略≫を合わせて考えると、右新株式申込証の一部は右武浦、中田が作成したことが認められるとともに、その余も株式会社東保組の従業員が作成したものであると推認される。

(4)、≪証拠省略≫を合わせて考えると、株式会社東保組は前記(1)に認定したとおりの経緯で設立されたものであったので、実際には個人企業東保組が行う工事の請負名義人となるに過ぎなかったので、営業用資産を有せず、また必要としなかったのであるが、建設省、運輸省等が行う工事の請負名義人となるためには、資本の額が一千万円以上であることを要したので、前記の第二、三回増資を行ったものであり、その増資払込金は、喜与四が個人企業東保組の請負工事による請負代金、または他からの借入金によって全額調達払込んだものであったので、増資手続終了後直ちに、株式会社東保組から喜与四に対して仮払金という名目で全額支払われたこと、すなわち、いわゆる見せ金によって増資が行われたこと、喜与四から高岡税務署長に提出された同人の昭和三十三年分の所得税の修正確定申告書添附の、昭和三十三年末現在の同人の貸値対照表には、株式会社東保組の発行済株式千万円全額が喜与四の資産として、他方株式会社東保組からの仮受金九百九十五万五千四百八十円が負債として記載されていることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右(1)ないし(3)に認定した株式会社東保組が設立された経緯、同会社の昭和三十三年当時の実体、同会社の第二、三回増資払込資金調達方法等の各事実、および当時控訴人らはいずれも喜与四の家族として同人に扶養されていたもので、独立の生計を営んでいたものではないこと、他方、株式会社東保組の第二、三回増資の際に各控訴人名義で引受けられた株式の払込資金について、喜与四と控訴人そとい、同晴美との間に贈与契約が結ばれたこと、および当時未成年者であったその余の控訴人らの共同親権者である喜与四、そとい間に、右控訴人らに右控訴人ら名義で引受けられた株数の株式会社東保組の株式を取得させるという合意がなされたことを認めるに足りる適確な証拠はないことを合わせて考えると株式会社東保組の第二、三回増資の際に、各控訴人名義で前記のとおりの株数の株式の引受、払込がなされ、その払込資金が喜与四によって調達されたということのみから、喜与四が右払込資金を各控訴人に贈与したものと認めることはできず、むしろ、株式会社東保組が設立された際に各控訴人が株主名義人とされたことに基いて、各増資の際、既存の各控訴人名義の株式数に応じて機械的に各控訴人名義の新株引受申込書が作成され、増資手続が行われたものと認めるのが相当である。

被控訴人は、控訴人らは株式会社東保組の創立総会、およびその後の株主総会に出席して株主としての権利を行使しており、さらに控訴人そといは創立総会において取締役に選任され、その後も取締役として取締役会に出席していると主張し、控訴人そといが株式会社東保組の創立総会で取締役に選任されたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫には被控訴人の右主張にそう趣旨の記載があるが、≪証拠省略≫ならびに前記認定のとおりの株式会社東保組の当時の実体、および控訴人らの当時の身分、年令等に照らして考えると、右乙号各証のみでその記載のとおりの事実があったものとは認められず、むしろ右乙号各証は、株式会社東保組が株式会社としての法定の手続を履践したという形式を整えるために作成されたに過ぎないものと認めるのが相当であり、他に、控訴人らが株式会社東保組の株主、または取締役として現実にその権利、権限を行使したことを認めるに足りる証拠はない。

また、被控訴人は、控訴人らは株式会社東保組の設立時、および第一回増資の際に各控訴人名義となった株式については、その払込資金贈与額が免税点以下であるところから、右株式は各名義人が有効に取得したとし、第二、三回増資の際に各控訴人名義となった分についてのみ、その取得を否定するのは、課税を免れるための詭弁に過ぎないと主張するが、控訴人らは株式会社東保組の設立時、および第一回増資の際の各控訴人名義とされた株式を、その当時それぞれ有効に取得したと主張しているわけではないから、被控訴人の右主張は失当である。

さらに、被控訴人は、もし控訴人ら主張のように株式会社東保組の株式が、その名義人にかかわらずすべて喜与四のものであるとすると、右会社は設立以来株主が喜与四のみのいわゆる一人会社であることとなり、したがって会社の株主総会、取締役会は一切存在しないことになる等収拾のつかない事態を招来すると主張するが、実質上の株式取得者(実質上の株主)と、会社に対する関係で株主としての権利を行使できる者(会社が株主として取扱うべき者)とは必ずしも一致するものではないから、株式会社東保組の実質上の株主が東保喜与四一人であるということになったとしても、そのことから当然に被控訴人主張のような事態を招来するとはいえないのみでなく、課税の原因たる株式の取得の有無(控訴人らに対する課税の原因は、株式の贈与ではなく、株式取得のための払込資金の贈与であるが、右資金贈与の有無と株式取得の有無は密接不可分の関係にあり、控訴人らの株式取得が否定されれば、その払込資金の贈与ということも否定されるべきものである)は、会社から株主として取扱われるべき地位(会社に対する関係においての株主たる地位)を取得したか否かによって決定されるべきではなく、実質上の株主としての地位を取得したか否かによって決定さるべきであるから、被控訴人の右主張も、失当である。

結論

以上のとおりであるから、高岡税務署長が控訴人らに対してなした贈与税、およびこれに対する無申告加算税賦課決定処分のうち、控訴人和雄を除くその余の控訴人らに対する処分は、いずれもその課税原因なくしてなされたものであるから、その全部が違法であり、控訴人和雄に対する処分のうち、課税価格五十万円の限度を超える部分は課税原因なくしてなされたもので違法であり、いずれも取消されるべきものといわなければならず、したがって控訴人らの審査請求を棄却した被控訴人の審査決定も、右の違法な賦課処分を是認した限度において違法であり、取消されるべきものである。

してみると、原判決中、控訴人和雄を除くその余の控訴人らの請求を棄却した部分は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条によりこれを取消して、右各控訴人の請求を認容し、控訴人和雄の請求を棄却した部分は、前記の理由ある部分を棄却した限度において失当であるから、同法第三百八十六条によってこれを取消して、控訴人和雄の請求を右の限度において認容し、右の限度を超える右控訴人の請求を棄却した部分は相当であるから、同法第三百八十四条によりこの部分に対する右控訴人の控訴を棄却することとし、右の趣旨で原判決中控訴人和雄に対する部分を主文第五、六、七項掲記のとおり変更し、訴訟費用の負担については、同法第九十六条、第九十二条、第九十三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西川力一 裁判官 寺井忠 裁判官広瀬友信は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 西川力一)

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